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植芝盛平(引用要約)bot

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合気道開祖・植芝盛平の言葉及び門人関係者らが語る挿話等を文献から引用要約し呟きます(字数制限に応じて原文を編集してありますので、正確な文章は出典をご確認下さい)。合気会非公認。返信は出来ません。これを機会に開祖の思想、合気道の歴史に興味を持って頂ければ幸いです。

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linkhttp://twilog.org/Morihei_bot calendar_today22-04-2011 19:41:35

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アンドレ・ノケ「1955年当時の日本はまだ貧しかった。マッカーサー元帥によって、日本の武道は閉鎖されていた。盛平翁は私に『大使館の文化担当官をここに引っ張って来てほしい。私の演武を見て貰いたいのだ』と言われた。私も色々と日本の合気道のために奔走した」『植芝盛平と合気道2』212p

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「六尺二寸(188cm)ぐらい小僧ですよ。問題じゃないですよ。私は五尺一寸(154㎝)そこそこしかない。そんなもの、背の高いと言うてたら日本はどうするんですか。国が大きいかどうかは問題じゃない。小さい国で結構だ。邪魔になる。大きい国は」昭和40年頃。『合気ニュース』142号15p

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「人の目を見たり、相手の技を見たり、姿を眺めているんじゃないですよ。全部自分の腹中へ、身の内へ入れてしまうんですよ。自分の腹の中に在るんだから別に争う必要がない。大宇宙が自分に在るということや。全宇宙が自分の腹中に在ることや」昭和40年頃のラジオ会見記『合気ニュース』142号15p

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井上鑑昭(盛平甥)「出口王仁三郎先生が叔父に『大東流というのはやめとけ、合気という名前にしたらいい』と言って『合気武道』と付けてくれたのです。叔父は始め『皇武武道』と言っていたが、『やっぱり他を見れば皇武では困る。合気道とする』と、途中で変えたのです」『植芝盛平と合気道1』45-46p

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せん太刀を 天に構へて早くつめ 打ち逃しなば横に斬るべし (道歌。吉祥丸『合気神髄』185p) amzn.to/30QxvKq

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吉祥丸「複数の武道を修めたある人が開祖に入門、正面打ち第一教と四方投げのみを繰り返し練習した。一週間後その人の家へ泥棒が入り格闘、気づいたら合気道の一教で押さえつけていた。その人はそれまで一教は実戦に役立たぬと思っていたので驚き、改めて練習に励んだという」『図解コーチ合気道』86p

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植芝守央「合気道の魅力は、左右一方に偏ることのない、バランスの取れた武道であるということです。開祖の言う『合気道は他人との強弱を競うものではなく、互いの尊重が最も大切である』という特性が、多くの方々に共感を頂いている大きな理由だと思います」『合気道パーフェクトマスター』15p

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吉祥丸「大本教団での建設作業で、五十人ほどの奉仕者が椎の大木を退かそうとしたが、ビクともしない。そこで盛平がウムと気力を込め動かすと、大木がグラグラ動き根元が緩み、難なく処理できた。『植芝さん、こりゃ神懸りというもんや』と王仁三郎師も感嘆したという」『植芝盛平伝』128p

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斉藤守弘「終戦後岩間での生活では米も不足していましたが、脱穀機を購入して自家精米してから楽になりました。その精米した餅米を、杵と臼でついて手作りしたお餅が、大先生の何よりもの好物でした」『合気道探究』2号81p

🅶🅶亮さん 𝕏 ✡ 🐉ユルく⌘愉しく⌘和やかに🦜🦜🦜 (@kinaryoaiki358) 's Twitter Profile Photo

一教は始めに教えてもらえる技ですが、やればやるほど面白くなります☺️ 子どもたちにも「一教は大切!一教と四方投げはしっかり稽古しましょう👍」と話してます🥋

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飯村郁夫「昭和35年頃、盛平翁も本部朝稽古に20分程度出る日が増えた。受けは内弟子だけでなく、通い門人から気に入った人を選ばれた。ビルマ戦線で辛くも生還した藤田昌氏(新宿区合気道連盟会長)は園田直代議士の稽古相手だったが、彼の柔和な人柄は開祖に好まれた」『合気道探究』9号31p

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小西康裕(神道自然流空手宗家)「合気武道の植芝盛平先生に、慶応普通部の漢史を担当されていた植芝門下の日下先生のお口添えでやっと入門が許された私は、親しく老師から教えを受け、深遠な日本武道の原理や精妙不可思議な合気の秘技に胸躍らせて合気武道に励んだのである」『合気道探究』9号14p

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九鬼家隆(熊野大社宮司)「うちに伝わる棒術を盛平翁が合気道に取り入れたという話もあります。クカミ文書というのがあるんですよ。その中に棒術を書いたのがありまして、祖父が盛平翁と『こういう棒術も参考にして合気道の技の中に取り入れてはどうか』と話したそうです」『合気道探究』32号34p

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奥村繁信「開祖は若い頃起倒流、柳生心眼流、大東流など色々学んでいます。合気道はそれらの影響を受けてはいますが、元になる発想・世界観は全く独創的なものです。『神武不殺』『武は愛なり』という思想は技の各所に表現されています。ゆえに大東流とは質的に異なる武道です」『合気道探究』4号55p

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宮崎吉政(政治評論家)「朝六時半頃、本部道場三階にずしんずしんと大先生の足音が聞こえる。両肩を飯村郁夫・藤田昌両先輩に支えられた大先生は道場に現れるや、たちまち背筋のピンと張った威厳そのものとなる。まずは正面に拝礼、ここで両先輩を相手に説明演武が始まる」『合気道探究』2号46p

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園田天光光「主人(元外務大臣・直)が剣道の羽賀準一先生から『もう教えるものはない。合気道の植芝盛平先生に教えを乞いなさい』と言われたと申し、翌朝水風呂に入り出掛けたのが昭和36年。盛平先生に『大変な感銘を受けた。入門をお許し頂けた』と、とてもご機嫌でした」『合気道探究』3号54p

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上段は 吾(われ)も上段このままに 打ち突く槍(やり)をくつ(屈)して勝つべし (道歌。吉祥丸『合気神髄』184p) amzn.to/30QxvKq

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合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、『我は即ち宇宙』なのである。私はそのことを、武を通じて悟った。(高橋英雄『武産合気』13p) amzn.to/303cNrT

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塩田剛三「植芝先生の日常にくっ付いていたことは、私にとっては良かった。合気道の一番大切な真理を掴むという、これは非常に大事なことなんです。先生の一挙一投足、これはくっ付いてないと肚に感じない」『植芝盛平と合気道1』190p amzn.to/30Uf0VQ