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白川静

@sizukashirakawa

1910−2006

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ID: 1577151949

calendar_today08-07-2013 08:38:42

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孤立は外から救われるものではない。我より汝にゆき、汝を我のうちに包む以外に、それを克服する道はないものである。

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【ち(風)】激しく吹く風。風をまた【て】とも【ぜ】【し】ともいう。【東風(こち)】【疾風(はやて)】のほか【風】【山風(やまぜ)】【まぜ】【南島風(いなさ)】【嵐】などみなその系統の語である。【霊(ち・し・つ)】とも関係があり、それは自然の生命の息吹きそのものであると考えられた。

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【あらはる】は【生(あ)る】の再活用語。幽冥のものが、いまの世に出現することをいう。そのあらわれた姿を【うつし】といい、今の世を【うつしよ】という。【うつしよ】には【現】の字のみを用いる。

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人間の運命を主題とするこの偉大な史書([史記])は、その問題に解決と慰めを与えるものではなく、この書に示されたようなさまざまな運命に生きることを、その運命の実践を、むしろ将来の人びとに課したのであった。

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【ふみひと】│【ふみ】すなわち書類や記録を掌(つかさど)るもの。書記官などをいう。姓(かばね)の名にも用い、東西におかれた「ふみひとべ」は、多くは渡来者の子孫であった。わが国の記録や文献は、はじめ多くはその人たちの手になるものであった。

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はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかしことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。

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果物は自然の生成力によって結実したものであり、魂振りの力をもつものとされた。[詩、召南、摽有梅]や[衛風、木瓜]などにみえる投果の俗は、歌垣などのときに行われたものであろうが、やはり魂振り的な意味をもつものである。

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【くま(奠)】神への供えもの。特に洗い清めた白米を供えることをいう。のち【供米(くまい)】といわれるものであろう。【くま】は【こめ】と同系の語。【よね】のうち神に供するものを特に【こめ】【くま】といったのであろう。沖縄では最初に神稲を授けられた家の子孫を「こめの子」とよぶという。

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【飯】[説文]に「食ふなり」とあり、黍稷(しょしょく)の類を食べること。[礼記]に「黍を食ふには箸を以(もち)ふること毌(なか)れ」とあり、また「飯を摶(まろ)むこと毌れ」とあるから、指で食べたことが知られる。そのとき親指を主として用いるので、親指の根もとを【飯】という。

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【秋】正字は【龝】に作り、【禾(か)】と【龜(亀)】と【火】とに従う。亀の形の部分は、卜文の字形では螟螣(ずいむしとはくいむし)の形であり、それに火(灬)を加える形に作るのは、これを焼く意であろう。それを以て禾の熟する時を示したもので、[説文]に「禾穀熟するなり」とみえる。

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今の日本でもね、選挙でよほど民主的になっているようにみえるけどね、もう今選挙に出られるのは二代め三代め、後継ぎばかりです。地盤がなければ出られんからね。これは一種の封建制度です。

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文化の最も純粋な完成形態を「樂に成る」と音楽に求めた孔子は、人のありかたについても「藝に遊ぶ」ことに最高の地位を与えている。道も徳も仁も、すべてはその過程であり方法であるにすぎない。「藝に遊ぶ」ことに、その存在のすべての意味がかけられている。

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遊ぶものが神であるということの証左はいくらでもあげることができるが、最も直接的には、たとえば女神がしばしば遊女とよばれていることを指摘するのみでも十分であろう。遊女とは出行する女神である。

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【いき(気・息)】呼吸すること。【生き】と同根の語。【氣(い)】を語根とするもので、【いき】【いぶき】【いのち】【いきほひ】【いかる】【いぶせし】など、みなそこから分出する。