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法華経の智慧(引用bot)

@hokekyo_no_chie

1996年〜'99年当時の池田先生と教学部幹部との対話の記録。法華経の真髄とは。日蓮仏法の魂とは。本来の「創価学会」のあるべき姿と目指すべきものとは。眠れる学会員必読。ここは「入口」。本書を繙き、思索せよ。師の言葉を思い出せ。そして目覚めよ。今の「創価学会」を検証するための引用。リンク先の資料「従藍而青」参照。↓↓

ID: 1407587539481862148

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牧口先生は「『塵も積もれば山となる』というが、実際に塵が積もってできた山はない。できるのはせいぜい塚ぐらいのものである。現実の山は地殻の大変動によってこそできる。同じように、小善をいくら重ねても大善にはならない」と言われた。 (従地涌出品)

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「こんなに幸せになりました!」と、会員の皆さんが喜んでいる姿ほど、嬉しいものはない。そのためにだけ私は生きているんです。ほかのことは全部、枝葉末節です。本来なら、真面目な学会員さん全員に、一人一人お会いして、御礼も言い、励ましも贈りたい。私の本当の気持ちです。 (妙荘厳王本事品)

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『池田大作全集』未収録の指導(2006.4~2010.5)は、師から弟子への、いわば「遺言」です。なぜ、未収録なのか。添付の資料を参考に、検証されてください🇷🇴 今の創価学会、おかしくないですか? ↓↓↓ drive.google.com/file/d/1IS_aH0… #54年問題 #内部の敵 #師弟不二 #破邪顕正

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"何かを与える"のがリーダーです。一言でもいい。「お疲れのようですね。お忙しいんですか」──例えば、せんべいの一枚、みかんの一個でもあれば、小さい袋か何かに入れてね、「よろしかったら、帰りにでも召し上がって下さい」──どうすれば皆が元気になるか、常に考えていくのがリーダーです。

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「三大秘法」以上の「秘法」はありません。──「三大秘法を広宣流布せよ」というのが日蓮大聖人の御遺命ですから。 (嘱累品)

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餓鬼界というのは、欲望を価値創造に使うのではなく、欲望の奴隷になっている境涯です。欲望ゆえに自分を苦しめ、他人をも傷つけていく──だから「悪道」と呼ばれる。 (如来寿量品)

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お疲れ様です😊 池田先生の指導を学んでいきましょう。全集未収録の先生の指導は特に重要です! 今の創価学会おかしくないですか? 添付の資料をご覧頂き、ぜひ検証されて下さい。 ↓↓↓↓ drive.google.com/file/d/1IS_aH0… #内部の敵 #破邪顕正 #師弟不二

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釈尊を神格化したり、自分たちは「凡夫でしかない」と卑下する。これは謙虚なようで、じつは傲慢の裏返しだ。「人間(凡夫)」の尊貴さを知りもしないで、人間不信になっている。そういう錯覚を払ったのが法華経だ。「凡夫こそが仏なのだ」「人間こそが最高に尊貴なのだ」と。 (如来神力品)

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「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名だ。時間論ではなく、生命論です。生命の奥底の真実──無始無終に活動し続けている宇宙生命そのものをさして「久遠元初」と呼んでいるのです。それは「無作三身如来」と言っても同じです。 (如来神力品)

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(『創価教育学体系』発刊に至る語らいの中で)戸田先生は牧口先生に尋ねる。「先生の教育学は、何が目的ですか」「価値を創造することだ」「では先生、"創価教育"、と決めましょう」。名前は1分で決まった。価値を創造する。美と利と善を創り出す。お二人の人格が反映した名前です。 (陀羅尼品)

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我が身を捨てて民衆を救う人がかえって、いじめられる。「転倒の世界」だ。その「難」を、また「侮辱」を耐え忍んで、なおかつ妙法を弘めるのが「忍辱の心」です。迫害されても、迫害されても、それにまさる不屈の執念で、魔軍を押し返し、押し返して戦い続けていくのです。 (如来神力品)

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牧口先生の三回忌で戸田先生「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土 常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができましたー (化城喩品)

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弟子は師匠を信じ、求める。師匠は弟子を守り、鍛える。誓いを忘れた弟子たちをも最終的には見捨てない。この最高にうるわしい「人間の絆」こそ、仏法の師弟です。決して上から下へという一方通行の関係でもなければ、道理に合わない封建的なものでもない。 (化城喩品)

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人を救い、世を救う──広宣流布です。現実と四つに組んだ、この大闘争こそが価値創造であり、真の宗教です。「聖」の価値というなら、この大闘争の中にしか「聖」なるものはない。「平和」だって「現世の利益(りやく)」ではないですか。 (観世音菩薩普門品)

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法華経には「魔及び魔民有りと雖(いえど)も、皆(み)な仏法を護らん」とある。敵をも味方に変えてこそ広宣流布です。そのためには、自覚した人間が猛然と「一人立つ」以外にない。そして民衆が鉄の団結で進む以外にない。 (常不軽菩薩品)

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畜身で女性で年少で──いちばん低く見られていた竜女がいちばん早く「即身成仏」した。そこに意味がある。虐げられた差別社会の中で、竜女成仏は万感の思いをこめた「人権宣言」だったと言えるでしょう。 (提婆達多品)

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『池田大作全集』未収録の指導(2006.4~2010.5)は、師から弟子への、いわば「遺言」です。なぜ、未収録なのか。添付の資料を参考に、検証されてください🇷🇴 今の創価学会、おかしくないですか? ↓↓↓ drive.google.com/file/d/1IS_aH0… #54年問題 #内部の敵 #師弟不二 #破邪顕正

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愚かになるために信仰するのではない。賢明になるためにこそ信仰はある。今の社会の狂いは、全人格的な「智慧」と「知識」とを混同し、全人格的な「信仰」と「盲信」との見分けがつかないところから起こっている。 (信解品)

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自分をなくして、大きなものに飲み込まれるのではない。我が生命こそ無限の宝蔵である。我が身そのものが功徳聚(くどくじゅ)である。我が身が法華経である。崩れざる幸せは、外からやってくるのではない。全て我が内なる生命から馥郁(ふくいく)と薫りだしてくるのです。 (信解品)

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師匠の願いは「広宣流布」にある。故に、弘教に走ることが、師匠への「報恩」になる。ともすれば「師匠はああ言われているが、今は特別の事情があるから、その通りにはできない」とか「師匠の教えは教え、現実は現実」となりがちだ。それでは、自分で師弟の間を断ち切るようなものだ。 (嘱累品)